最近ライブとか見て思うのだけど、いろいろ見方があるなあと。
感動するライブというのはいろいろあるのだなと。
「ものすごくエネルギーを感じるライブ」
これは自分の嗜好に合う合わないは関係がない。単純に演奏側からほとばしるエネルギーをガツンガツンと感じてしまい、それで感動する。演奏や曲に対しての真剣さ、と言ってもいいかも知れない。最近はライブを見るときは、このタイプのライブが一番感動するのかも、とか思ってる。しかしこのタイプは、何かしらの音源を手に入れて、家で何かしらのプレイヤーで聞くかと言うと、そうでもなかったりする。家で聞くCDは静かなものが圧倒的に多い。夜に仕事から帰って聞くことが多いので、まあ疲れているし必然的にそうなる。朝や仕事前はそれに比べれば少し元気なものを聞くが、エネルギッシュとは程遠いものを聞いている。この点で僕はいつも混乱することになる。だからこのタイプのライブは演劇というか、舞台というか、そういうものであるかもな、と思ってる。
「違和感を感じるライブ」
これは良い意味での違和感である。自分の価値観の外にある音楽、とでも言おうか。「なんだこれ?」が積み重なり、気づけば感動している、みたいな。この「違和感」というのはライブを体験する上で、もしくは感動する上で重要な感情であるような気がする。これがないライブというのは見る価値があるのか、とさえ思うようになっている。自分の中の知らないスイッチが押される感覚である。違和感を感じないライブというのは、それは予定調和というか、「わかりきっているライブ」であり、そういうものはこの歳になると、もうどんな感じか既に掴めているような感じになり、退屈になり、帰りたくなったりもするのである。
このタイプの音楽もこの歳になると家では聞かなくなる。落ち着きたいのに「違和感のある音楽」を流すほど若くはない。よってこういう音楽もライブならではの感動なのかなと思う。
「テクニカルなライブ」
文字通り、うまいライブである。楽器の技術的なテクニックもそうであるが、機材の使い方のテクニックなども感動のポイントである。そしてこれも音楽的嗜好というのは全く関係がない。どんな音楽であってもテクニカルであればそれなりに感動してしまうと思う。
しかしこの種も家では聞かない。楽器のテクニックに注目して音楽(CDなど)を聞く、ということがないから。家やプレイヤーで聞くときは、やはり感覚、全体的な体感覚で聞いている。よってこれもパフォーマンスというか、舞台というか、ライブならではの感動であるな、とか思う。多分激うまヘビメタバンドのライブとかあっても感動すると思うが、絶対に家では聞かない。ラジオとかで流れてきた際にはおそらく慌てて局を変えてしまうであろうw。
「音がいいライブ」
僕は音フェチ、特にギターの音フェチであり、クリーントーンでも歪みでも、アコースティックでも、自分の好みの音であればすごい快感を覚えてしまう。あとはPAの音がよかったり。でもコレは快感を覚えるのであって、感動する、まではいかないのかな、と今思ったり。
「知っている、もしくは好きなアーティストのライブ」
これは言わずもがな、感動するのではないだろうか。元々が好きなんだから当たり前だし、好きなアーティストや著名なアーティストが目の前で実際に演奏をしている、という感覚もある。これはミーハー的要素も少なからず含まれるとは思う。ティーンエイジファンクラブのライブなんかは、それはそれは感動しましたし。
逆に言えば、上記のどれにも当てはまらないというのが、「あーダメだ」「はよ終われ」と思うバンド、アーティストなのではないかと思う。そして上記に「好きなジャンルの音楽のライブ」というのは加えていない。好きなジャンルであってもおそらく、上記のどれかに当てはまっていないと感動はしないと思う。「それならCD聞いた方がいい」と思った時点でそのライブはダメだと思う。良いライブというのは「ライブでないと」感がたんまりあるものなのかな。そんな結の論。