everything, in its right place
radiohead / KID A (2000)
仕事終わってビールを飲んで、なんだか世界が半回転して止まったような感じになって、そしたらムショーに「KID A的な気分」になって、非常に久しぶりに聞いている。そしたら、また世界がまた回転しだした。無事にもう半回転してくれますように、と。
そんな世界の向こう側からキャメルを吸いながら眺めていると、例えるならば観覧車の一番上から見慣れた場所を見下ろしてみると、、
全く僕は君を求めているようには思えないし、それはおそらく同情なのであろう、と。
そして君が僕を求めているようにも思えない。それを表現することを、自意識というものが押さえているのであろうとそうでなかろうと、僕がこういうふうに感じてしまっていることがつまりは結果なのであり、全てなのだと思う。くだらないのは、そんな自意識だ。
出発点はどうであれ、心の震えのようなものは感じたのであろうが、離れて3日もして、まあお互い当たり障りのない、無干渉なやりとりを繰り返すうちに、そんな震えも止まるのである。もしかすると、そんなものは「情」とさえ呼べないのかも知れない。
KID Aに加え、こんな文章を書くことですら、観覧車の速度を上げてしまうのだから、まあ歳を取るということは便利なものだなと、今思う。一番下に着く前にいろいろ書きたい気分なのだけれど。
良くも悪くも解決する術を身に付けてしまっている。ほう、なかなかはっきりしている。こんな何の想像もかきたてない文章は嫌いなのだけど。
一番下に近づくにつれ、再びいろんな思いが交錯する。
動け。停滞は妙な淀みを生む。それは生産性の欠片もない。
生産性のないことをし続ける時期は終わっているはずである。
「全ては正しき場所に、ある」
信じてみようかしら。
by swtgrlstrvllngbd
| 2009-09-17 02:39